限りなく祖国を愛したい。だから、限りなく人を愛したい

国を愛するってどういうこと? 声高に「愛国心」が騒がれる「愛国心の時代」である今、本当の「愛国心」は語られているのか?  多面的多角的に愛国心を捉え語っていきたい。 そして、人々の政治関与という「愛国心」の最大の発露を高めたい。

Monday, November 20, 2006

そんなら「教育」なんてしなきゃいい!!

北海道新聞 教育基本法改正に反対 北星女子中3生、首相に意見書  2006/11/17 07:49  十六日、衆院本会議で可決された教育基本法改正案について、北星学園女子中高(浅里慎也校長、札幌市中央区)の中学三年生が同日、改正反対を訴える安倍晋三首相あての意見書を送った。同校は現行の教育基本法をつくったメンバーの一人、河井道(一八七七-一九五三年)の母校で、生徒たちは「先輩がつくった基本法の精神を曲げないで」と訴えている。  意見書はA4サイズで四枚。教育の目標として「我が国と郷土を愛する態度を養う」ことを掲げた改正案について、「国を愛する心は人それぞれが自分から思うものであって、おしつけられるものではない」と指摘。安倍首相に「本当に私たちの将来のことを考えてくれていますか? 返答をください」と求めた。  社会科で教育勅語について学んだのがきっかけ。改正案で「愛国心」が重視されていることを知った三年生一クラスの二十七人が「戦前のように心が強制されるのは嫌」と相談。連名で意見書を作成し、安倍首相のほか各党、扇千景参院議長にファクスで送った。  改正案に反対する声は学校全体に広がり、中学では署名活動も行い、高校も意見書を作成したほか、一人ずつ反対意見を記したカードも募集した。十七日にも安倍首相や伊吹文明文部科学相などに郵送する。  高校三年の生徒は「国にとって好ましくない人物というだけで、仕事などに影響が出るのは怖い」と訴える。意見書を送ったクラス担任の北野聡子教諭(32)は「子どもたちの行動力に驚いた。考える力が育っている証拠で、担任として誇りに思う」と話している。

このニュースは小耳に挟んでいたのですが、北野聡子教諭の誘導やら洗脳など一部でうわさされているようです。
ばっかか!!一人の教員が全校生徒を洗脳することなど不可能ですよ!!だって全校で活動が起こったんだぜ

それに、教える習うの関係で100%の自己決定権(主体性)は可能ですか??

例えば(実際にあった話 自分ではありません )

自分の中学では、リサーチ→インタビュー→発表 という形の総合学習がありました

中学二年生の総合学習のテーマは「生命と環境」でした。

ある学生は、「不法投棄問題」を個人のテーマに選びました

その学生は、本やインターネットで自分の町の現実の不法投棄の問題を調べました。

自分の町の不法投棄問題を扱っている部署にアポイントをとり、インタビューに行きました。そこで、その学生は実際の不法投棄の現場の写真を見せ職員に改善を訴えかけました

そして発表をしました。

テーマ選びにも

リサーチソース選びにも

インタビュー先選びにも

教員の指導があります。

この場合、その教員は学生を誘導して反「不法投棄」思想洗脳し職員へ訴えかけた と言えるでしょうか?

この場合にたとえるならば、

社会科で教育勅語を勉強 (きっと国民総動員法 教育基本法改定案と関連付けて)    
<上の例の学年テーマ決定>
         ↓
意外に大きな反響(ただ懸念すべきはクラス内の空気に呑まれてしまった生徒 さすがに全員が反応を示すとは思えない)
   <上の例の個人テーマ決定>
         ↓
クラス内で総合学習かなにかの特別な授業をやる
    <上の例の教員の指導>
         ↓
関心のある学生の声を中心に意見書作成 首相にFAXで送る
<上の例のインタビューでの「不法投棄」の実態の訴えかけ>

こんな感じではないでしょうか。情報もない経験もない生徒が教員の指導・授業に頼らなければいけないのは当然であって、教員の指導を洗脳というならば教育などやらなければいいわけです。  偏らない高校「現代社会」など、ただの教員の指導放棄であり、学生は教員や他の生徒の意見を聞きながら自分の意見を立ち上げれ主張できるように導かなければならないのではないでしょうか

もちろん、北海道のケースに問題がないわけではなく、

21人という少人数クラスとはいえ全員が「教育基本法問題」に関心を持つとは思えない
→クラスレク決めにおけるスポーツ好き主導現象

ましてやいくら河井道の母校とはいえ、全校生徒が河井道を積極的に尊敬しているとは思えず、学内の空気で流されている可能性大
→大学の寄付金現象

日本の住民の空気に流される悪い習慣が垣間見える気がします。「「No」といえる日本人」が必要なのかもしれません。

しかし、最初 「教育基本法問題」に関心を持った何人かの生徒の「現代社会への想い」―私はこれこそ(「教育基本法改定案」に賛成であれ反対であれ)「愛国心」だと思いますが― は否定されてはいけません

そんなら「教育」なんてしなきゃいい!!

北海道新聞 教育基本法改正に反対 北星女子中3生、首相に意見書  2006/11/17 07:49  十六日、衆院本会議で可決された教育基本法改正案について、北星学園女子中高(浅里慎也校長、札幌市中央区)の中学三年生が同日、改正反対を訴える安倍晋三首相あての意見書を送った。同校は現行の教育基本法をつくったメンバーの一人、河井道(一八七七-一九五三年)の母校で、生徒たちは「先輩がつくった基本法の精神を曲げないで」と訴えている。  意見書はA4サイズで四枚。教育の目標として「我が国と郷土を愛する態度を養う」ことを掲げた改正案について、「国を愛する心は人それぞれが自分から思うものであって、おしつけられるものではない」と指摘。安倍首相に「本当に私たちの将来のことを考えてくれていますか? 返答をください」と求めた。  社会科で教育勅語について学んだのがきっかけ。改正案で「愛国心」が重視されていることを知った三年生一クラスの二十七人が「戦前のように心が強制されるのは嫌」と相談。連名で意見書を作成し、安倍首相のほか各党、扇千景参院議長にファクスで送った。  改正案に反対する声は学校全体に広がり、中学では署名活動も行い、高校も意見書を作成したほか、一人ずつ反対意見を記したカードも募集した。十七日にも安倍首相や伊吹文明文部科学相などに郵送する。  高校三年の生徒は「国にとって好ましくない人物というだけで、仕事などに影響が出るのは怖い」と訴える。意見書を送ったクラス担任の北野聡子教諭(32)は「子どもたちの行動力に驚いた。考える力が育っている証拠で、担任として誇りに思う」と話している。

このニュースは小耳に挟んでいたのですが、北野聡子教諭の誘導やら洗脳など一部でうわさされているようです。
ばっかか!!一人の教員が全校生徒を洗脳することなど不可能ですよ!!だって全校で活動が起こったんだぜ

それに、教える習うの関係で100%の自己決定権(主体性)は可能ですか??

例えば(実際にあった話 自分ではありません )

自分の中学では、リサーチ→インタビュー→発表 という形の総合学習がありました

中学二年生の総合学習のテーマは「生命と環境」でした。

ある学生は、「不法投棄問題」を個人のテーマに選びました

その学生は、本やインターネットで自分の町の現実の不法投棄の問題を調べました。

自分の町の不法投棄問題を扱っている部署にアポイントをとり、インタビューに行きました。そこで、その学生は実際の不法投棄の現場の写真を見せ職員に改善を訴えかけました

そして発表をしました。

テーマ選びにも

リサーチソース選びにも

インタビュー先選びにも

教員の指導があります。

この場合、その教員は学生を誘導して反「不法投棄」思想洗脳した と言えるでしょうか?

この場合にたとえるならば、

社会科で教育勅語を勉強 (きっと国民総動員法 教育基本法改定案と関連付けて)    
<上の例の学年テーマ決定>
         ↓
意外に大きな反響(ただ懸念すべきはクラス内の空気に呑まれてしまった生徒 さすがに全員が反応を示すとは思えない)
   <上の例の個人テーマ決定>
         ↓
クラス内で総合学習かなにかの特別な授業をやる
    <上の例の教員の指導>
         ↓
関心のある学生の声を中心に意見書作成 首相にFAXで送る
<上の例のインタビューでの「不法投棄」の実態の訴えかけ>

こんな感じではないでしょうか。情報もない経験もない生徒が教員の指導・授業に頼らなければいけないのは当然であって、教員の指導を洗脳というならば教育などやらなければいいわけです。  偏らない高校「現代社会」など、ただの教員の指導放棄であり、学生は教員や他の生徒の意見を聞きながら自分の意見を立ち上げれ主張できるように導かなければならないのではないでしょうか

もちろん、北海道のケースに問題がないわけではなく、

21人という少人数クラスとはいえ全員が「教育基本法問題」に関心を持つとは思えない
→クラスレク決めにおけるスポーツ好き主導現象

ましてやいくら河井道の母校とはいえ、全校生徒が河井道を積極的に尊敬しているとは思えず、学内の空気で流されている可能性大
→大学の寄付金現象

日本の住民の空気に流される悪い習慣が垣間見える気がします。「「No」といえる日本人」が必要なのかもしれません。

しかし、最初 「教育基本法問題」に関心を持った何人かの生徒の「現代社会への想い」―私はこれこそ(「教育基本法改定案」に賛成であれ反対であれ)「愛国心」だと思いますが― は否定されてはいけません

Saturday, November 04, 2006

当ブログに対するコメントについて

基本的にリンクフリー(feel free to link)ならぬ

コメントフリー(feel free to coment) です。

しかし、円滑なブログ運営のためにいくつかの規制をかけます

商用目的だけのコメントの禁止

出会い系サイト・アダルトサイトへ誘導するコメントの禁止

コメント上の特定の個人への脅迫・中傷の禁止

本人の許可を取ることなく他者の個人情報をさらすことの禁止

運営に支障をきたす多コメントの禁止

コメント上の宗教の勧誘の禁止

↑以上の行為をした場合 コメント削除 書き込み禁止にします

他の言葉も使えるのにあえて差別用語を使用することの規制

偏見のかかったコメントの規制

その他公序良俗に反するコメントの規制

↑以上の行為があった場合 警告等行います

処置をとるときそのコメントの次のコメントに管理人が理由説明を行います

また、そのような被害をこのブログで受けたという方は管理人まで連絡ください

なぜそのような処置をこの機に表明したかというと、管理人自身が

「IPアドレス制限により、コメントを規制されました。」

という処置を受けたからです。
確かに、そのブログのコンテンツに対し批判を続けてきましたが、私自身はそのブログは数ある保守系ブログの中まともで論理的であると評価してきました

だからコメントする価値があると

しかし、コメント拒否をされてしまいました。コメントの内容は 一つ例を挙げるなら
「 毎度毎度すみません。他の保守系感情的ブログに対してここは論理的で自分の好みに合います。 
「日本が6者協議に参加しないことが望ましい。米中北3者だけで協議したい」
そもそも北は米朝間二者交渉を望んでいたわけで、それが無理なら自らの後ろ盾であり米朝間を取り持っている中国を入れろ他のロシアとか韓国とか日本とかは入れてくれるなという主張です
核兵器所有国のロシアもまた入りませんでした」


このようなコメントです。このコメントはコメント拒否のため送信することができませんでした。
私自身はそのブログの管理人を苦しめるようなことをしていないと思います。しかし、もし 自分が気づいてない範囲でそういうことがあったならブログ上で指摘がほしかったです


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Wednesday, November 01, 2006

履修不足と受験

 科目履修不足の話だが、一部には言うことを聞かない教育委員会と教職員組合がいけないという論調があるらしい。

 いやあ、それ守ったら生徒の高校離れ起こるよ。

だって、進学校(大学に進学するものが多数派の学校という意味)の生徒と親の認識としては受験は何よりも勝るというのがある。

自分も受験生だったからよくわかる。 だから、進学校の生徒たちは知的好奇心ではなく自分にとって受験に有利かどうか(受験科目かどうか)でコース選択(科目選択)をしている。

だから、教員もそういう「需要」がわかっている。だから、履修不足もやってしまう。すべては親と生徒のために

もし、履修を守って受験対策を怠ったら、高校に行くメリットなどなくなる。高校など行かなくとも大学は受けられるから

 高卒認定  があるから

高校に行かず予備校で勉強し高卒認定を受けて大学に入るという選択肢もある。 自分の知り合いも予備校は行ってなかったけれどこのくちで高校に行かずに大学に入った人がいる

日本人にとって大学がブランドであるように高校もブランドである。しかし、大学というブランドを手に入れるためには高校というブランドを手放すこともできる

 「需要」をなくさない限り履修不足は終わらない 
具体的な受験改革を提案できないのは残念だが

教育再生会議メンバー渡邉美樹氏の「夢」をかなえる教育は学歴社会を目指したものではない。
かれは、バウチャー制導入により学校は切磋琢磨し(競争し)、教育の(「夢」をサポートできること)があげれると思っている。

しかし、教育の消費者は学校という商品を選ぶとき名声進学実績だけで選んでいるのが現実ではないだろうか。 その環境の中で選ばれるためには進学実績をあげるしかない(特に名声のない新設校は)。どんな手段を選んでも・・・

受験のためには彼らが必要だという「愛国心教育」も「道徳教育」もちゃんと行われないかもしれないのに・・・

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Tuesday, October 24, 2006

藤岡信勝氏の転向と矛盾

新しい教科書をつくる会で、教育問題を扱っていながら数少ない教育研究者(社会科教育論 ディベート論)である藤岡信勝氏は元 民青系組織(民青とは共産党の影響を受けた学生団体)のメンバーであった

彼の日記を下に掲載する

「時は平成3年(1991年)の湾岸戦争の時期にさかのぼる。あのとき、日本も血を流す覚悟で自衛隊を派遣すべきかどうかが社会的論争になった。私が当時読んだ様々な分析・評論の中で、自分の心の中を見透かされたような衝撃を受けたものがある。野田宣雄「湾岸から日本に放たれたミサイル」という短い文章である。『文藝春秋』の1991年3月号に載った。野田氏は、戦争がもつ不思議な倫理的作用についてのマックス・ウエーバーの発言を紹介したあと、この作用は過去のものになっていないばかりか、湾岸戦争で再現されたとして、次のように書いていた。

 「湾岸戦争でアメリカをはじめとする多国籍軍の兵士たちが生命を犠牲にするようになって以来、日本人の多くが深刻な精神的負い目を心のうちに抱え込んでしまった。いうまでもなく、多国籍軍の兵士たちが日本人も共有する価値と利益のために命を捧げているのに、日本人だけは平和憲法を盾に安全圏に身をおいたままだからである。/つまり、そこでは、平和憲法を掲げて戦争で手を汚そうとしない者たちが、侵略阻止という大義のために現に戦場で生命を危険にさらしている者から、鋭く倫理性を問われているのである。/もちろん、今回の事態のもとでも、なんら心の負い目を感じてはいないと言い張る日本人もいるだろう。しかし、そんな人々は倫理感覚のまったく麻痺した鈍感な人々であるか、さもなければ、自分の本当の感情を偽っているにすぎないだろう」。

 この文章は私の肺腑を射抜いた。まさに湾岸から私めがけてミサイルが飛んできたのである。なぜか。私は「自分の息子を戦場に送ることができるか」という問題で煩悶していたからである。私にとって自衛隊を派遣することに賛成するかどうかは、他人事ではなく、まさに愛する息子を死の危険にさらす覚悟が出来るかどうかを自らの心のうちに反問することだったのである。

 湾岸戦争の体験を通じて、憲法九条の評価が逆転したのは、上記の問いに直面した私にとっての論理的・必然的な帰結だった。今まで私の中で理想として美化されていたものが、まことに醜いものであり、戦後日本人の道徳的堕落の根源であると思うようになった。平成3年は、私の思想的回心の年となった。それは遅すぎるという批評をする人もいる。しかし、思想的転換に締め切り日があるのだろうか。今日も、明日も、何らかのきっかけで、学校ですり込まれた憲法九条の欺瞞に気づく人が生まれているはずだ。それでよいのだ。それぞれの人の内部で必然性があれば、何一つ恥じることはない。

 湾岸戦争の最中に、私は「自衛隊は参戦すべきだ」と家族の前で漏らしたことがあった。娘と息子は当時高校生であったが、「お父さんは軍国主義者になった」と言っているという話を家内から聞いた。私は、しっかりと時間をとって子供たちに話をしなければならないと決意した。19世紀の社会主義の歴史から説き起こして、明け方の4時くらいまで語り明かした。子供たちは納得してくれた。娘は「わかった」と言い、「お父さん、若いね」と言った。

 この年、8月からアメリカに在外研究員として1年間滞在することになり、それを機会に共産党を離党した。詳しくはこの後に掲載する文章を読んでいただきたい。私は共産主義の悪ははるか前から分かっていた。しかし、憲法九条の呪縛にとらわれていたが故に、何も活動しない惰性党員ではあったが、離党する決断にまでは至らなかった。というのも、現在の共産党は、共産主義の教義ではなく、一国平和主義を信じている人々を政治的基盤としている。今、日本共産党に残っている人の99パーセントは、共産主義を信じているのではなく、突き詰めて言えば憲法九条の呪縛から抜け出せないでいるのだ。

 こういう事情が分からないと共産党と有効にたたかうことは出来ないだろう。憲法九条は「自虐史観」と表裏一体である。だから、「自虐史観」の歴史教育を破壊することは、とりもなおさず共産党の存在根拠を奪うことになるのだ。以上のことが理論的に分かっていれば、私が平成13年まで共産党に在籍したなどということがありえないことはおのずから理解できるはずである。」
藤岡信勝ネット発信局 「私はなぜ共産党をやめたか」 
http://blog.so-net.ne.jp/fujioka-nobukatsu/2006-04-20

かれは、その後ご存知のとおり歴史観を左から右に動かすことになる。
彼のその後を考えるとこの論理はいささか妙である。湾岸戦争とは、「アラブの大儀」(アメリカに媚び使うなということか?) をもとにイラク軍がクウェートに攻め込んだ戦争である。それに対して多国籍軍がクウェート支援のために「侵略阻止」のためにイラク軍を攻撃した。
 まず第一の疑問は、反米主義的な共産党の中ですごしながら、なぜイラク軍ではなく多国籍軍にシンパシーをかんじたのかということである。 
 そして、第二の疑問は、なぜ「アラブの大儀」という崇高な目的の為には手段を選ばないイラク・アラブ共和国政府を非難しながら、朝鮮半島の平和と近代化という崇高の目的の為に軍事力を使ったぐらい同じく手段を選ばなかった旧大日本帝国政府を肯定する理論を支持するようになったのかということである。

日露戦争での日本の戦いがアジア諸国の人々を熱狂させたように、サッダーム=フセインの対イスラエル・アメリカ攻撃もアラブ中熱狂させたし、ヨルダンなど一部のアラブ・イスラム諸国はイラクを支持した大半が逆の立場だったが)。
そして、決してクウェートは民主的とは言えない国で首長の権力が強く首長の人気が特別高いわけでもない。もし、「アラブの大儀」にクウェート人開放とでもあったら、藤岡氏は批判できただろうか?
イラク・クウェート間の関係は、尖閣諸島における日本・中国間の関係であるとするならば、藤岡氏にもイラクの立場も理解できるのではないか。そして、第二次世界大戦の前の日本のようにイラン・イラク戦争の後のイラクは疲労していた。

どんな大儀があってもどんなに支持されていても侵略はいけない(侵略阻止もまた大儀に過ぎないが)のならば、なぜ日本の朝鮮支配は肯定できるのか。
それは時代が違うからか? 当時は合法で今は違法だからいけない。確かにそうかもしれない。でも、かれは教育者でありそれもただの教育者ではなく道徳問題を扱う新しい教科書をつくる会の数少ない貴重な教育者であり、その活動に参加した理由が湾岸戦争であると明言しているのであるわけだから、明日の道徳教育に合法主義は影響を与えないわけにはいかない。違法でなければなんでもやっていいという道徳は、つくる会系の人が目指している道徳とそれないだろうか?

確かに、サッダーム=フセインと藤岡信勝氏は同じ価値観を残念ながら共有していない。しかし、アメリカをはじめとする国々の政府と自分が本当に同じ価値観を共有していたのかと問われればそうとも言い切れない。彼は、サッダーム父ブッシュかという二者択一の中でしか物事を考えていない。民青系の組織にの仲間と第三の活動をするなどの選択肢は存在しなかったのか?
そもそも、戦争に行くのは自分ではなく息子であるという点で、彼は安全地帯にいるわけでいくらそんな人がいくら悩んだところで戦争という環境の実感は得られない


結局のところ、彼の転向の理由はアラブ・イラクへの「無知」ではないか。(ちなみに、自分はサッダームが正しいといいたいわけではありません。クルド人虐殺などの問題ももちろん知っています)

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Wednesday, October 18, 2006

ローリスク ハイリターン のリベラリズムと核武装

 ある国際問題を解決するとする。解決によって発生する犠牲が、1万円の損失の解決案1兆円の損失の解決案100万人死亡の解決案だったらどれを採るだろうか?

たいていの答えは、1万円の損失の解決案であろう。

しかし、現実はこうは甘くない。 損失1万円で解決するにはかなり労力が必要だし可能性も低い人の死を無視すればどんな選択肢でも採れる。

1万円の犠牲の解決案とは、D.P.R.K核実験問題で言えば「対話解決」であり、100万人死亡の解決案は、日本核武装もしくはD.P.R.K武力侵攻である。

巷で現実主義とか言われているものは、日本核武装かもしれない。 しかし、これはいくつものリスクをともなう。

まず、核戦争の可能性である。D.P.R.Kは結構追い詰められている。ひょっとしたら、利用することもありえる。そうした場合、日本国内で対D.P.R.K核兵器利用世論が高まり、核で反撃することも可能である。それは、地球が吹っ飛ぶかもしれない、核戦争のはじまりになりえる。

次に、核拡散促成の可能性がある。 もちろん、D.P.R.Kの核実験により核兵器および核兵器技術の拡散が考えられるのはもちろんである。

しかし、日本が核保有をすることで、核拡散を促進させてしまう可能性がある。 もちろん、日本が核兵器を持たなくても核兵器は拡散する。

しかし、

被爆国日本が核兵器を持つ=核兵器の犠牲者にとって核兵器は大して害を与えていない=使ってもよし、持ってもよし

という図式もありえるのだ!!

そして、そもそも核兵器は抑止(狭義の平和)たり得るのか??

インドのパキスタンは核武装している。しかし、カシミール問題は終わらない。

そして、イスラエルは対ヒズブアッラー戦で核兵器を使わなかった。 そんなしょぼい相手に使うわけがないというかもしれないが、核兵器は大型のものだけではない。 小型核兵器と呼ばれる限定的な核兵器だってありえる。 

しかし使わなかった。 

もし使えば 世界中からの非難 から逃れようがないから(核保有を公式に認めてしまうからという理由も)

核抑止がなくても核は抑止できる

あてになるかわからない核よりも、予防的外交努力を

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Monday, October 16, 2006

憲法制定と日本の住民の主体性

 改憲論者と言われる安倍晋三氏が首相になった。 どこまでやる気かは知らないが・・・

実は、自分は改憲派である。 しかし、自分は現在の状態での改憲を強く憂慮する。

「気概」とかわけわからん言葉を濫用する憲法学者といわれている教授やら、憲法と校則かなにかを混合している議員やらに改憲されることは

大変危険 である 食べるな 危険 毒饅頭 である(意味不明)

なおかつ、一部で言われていることが本当ならば、

アメリカ政府の強大な影響の下で作られた 憲法が アメリカ政府の強大な要請のもとで変えられる

ってことが本当ならば 国辱的ではないか。 主体性のかけらもない 本末転倒 失笑八倒(造語 意味不明)である

なぜ、自分が改憲なのか。 それは、憲法の中身ではなく憲法に対する国民の意識である。

自分たちでつくったという憲法だからこそ、気概を持って政治に関与できる(投票率UP↑ になるかはしらんが)

のであって、お上に決めてもらった憲法(大日本帝国憲法)や気づいたらできていた憲法(日本国憲法)では そういう意識を持つことが難しい。

主権者意識、国士としての意識 を持つための自主憲法制定である。

主「権」者であり、権利を主体的に主張し施行するするから、責任を抵抗なく背負えるのだ。
権利と義務(責任)はご恩と奉公じゃない。奉公すること(義務を果たすことで)お上からご恩(権利)が与えられるなんて そんな封建的奴隷的な体制なんて・・・

ということで、よくわからんが9条守ろう!ブロガーズ・リンクに参加する

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Sunday, October 15, 2006

お上から「道徳規範」を戴く気概なき国士

教育基本法を変えようという動きがあるらしい。 なんとも、道徳規範を教育基本法に盛り込むらしい。
教育再生会議とか何とかいう、「新しい教科書をつくる会」の分派みたいな名前の会議をつくって取り組むんだとか。

いつから、そこまで日本に住まう人はレベルが落ちたんだよう。 確かに、今、分別のつかない大人は多いかもしれないけれど。

物事の判断を政府に任せるなんて、生きるやる気ありません!!って言ってるようなもんだよ。何が正しいか勝手に判断しといてください、言われたとおり動きますから!!って。

自分で考え自分で正しい道を選び、困難にもめげず自分の正しさを突き進む意思・気概 いつの間に失われたのか。

そもそもなかったのか???

宗教教育解禁になる動きがあるらしい。国際人として、宗教が語れるのは欠かせないが、日本での宗教教育で犯罪抑止まで期待するのは過剰といえるだろう。

イスラーム圏へ行って思った。 顔まで隠している女性も、ヨーロッパ人みたいに体型がくっきりわかりそうな格好をしている女性もいる。でも、みんな宗教熱心だ。

顔を隠してない女性が言う。「隠すか隠さないかそれは自分の判断だ」と

つまり、宗教的に自分が何することが正しいか正しくないか一人一人が考えている。そして、一人一人が違う結論に至っている。でも、それでいい。考えること大切だ。違う結論が出せるから自由だ。

道徳を政府から戴こうとしている日本に住まう人々はどうだろうか。 政府から戴いた正しさを盲目的に従ったりはしないだろうか。自分自身にとって、自分が社会にかかわるのにとってどうすればいいのか考えることができうだろうか。

イスラームは自由である。解釈によってはファッションも自由になるし、自爆攻撃家にもなれる(現実の問題は多いが)。

日本に住まう人は自由になれるあろうか。 教育基本法改定の行方と、今後の道徳との接し方にかかっている。

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